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11月, 2009の投稿を表示しています

冬到来

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午後7時ころ。 橋の上からセーヌ川を。 遠くに小さく見えるのが、エッフェル塔です。 夏は10時くらいまで明るかったことを思うと、いよいよ冬だなと実感。 透明度を増した大気のなかを、車も人々も足早に通り過ぎていきます。

スターの悲劇

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今回で三回目(たぶん最後)のアンリ「神の手」ネタ。 成り行きでけっこう追ってしまいました。 さて、先日のW杯予選プレーオフ第2戦にて、手を使ってフランスに「恥ずべき勝利」をもたらした「ヒーロー」に、救いの手は差し伸べられたのでしょうか? 「Equipe」紙に、彼の心中がにじみ出たインタヴューが掲載されています。 「試合の翌日も、そのまた翌日も、僕は孤独で、本当に独りぼっちだと感じていた。僕が(再試合を求める)公式声明を発表してから、やっと一度だけフランスサッカー連盟が連絡してきた。」 代表引退を考えたか、との質問に対して。 「もちろん、考えた。金曜日になって、すべてのことに対して距離ができて、やっと元気が戻ったけどね。(…)最近起こったあれやこれやで、僕は打ち捨てられたと感じたけど、僕が代表を見捨てるなんてことはないよ。」 彼は自分の行為を後悔しているのでしょうか。 「場合によっては、ゴールの後に喜びを爆発させてしまったのは、非難されることかもしれない。(…)そんなこと、しなければよかったんだ。でも率直に言って、コントロールすることなんで出来なかった。これまで僕らが耐えてきたことを考えたらね…。」 「ただ、起きてしまったことは重荷になっていくだろう。いつだって許すことはできても、常に忘れることができるわけじゃないから。」 家族や友人のサポートは別にして、フランス人の公式見解は、いまだに「過ちを犯した人気者」に厳しいものが多いようです。サルコジ大統領のアイルランド首相への謝罪をはじめとして、アンリの「いかさま」は公認の事実にすら見えます。 でも、個人的には、ハンド自体は反則だとしても、その後のアンリの振る舞いやコメントはむしろ、フェアプレーに属するんじゃないかと思っています。 相手のアイルランド代表主将ロビー・キーンもコメントしている通り、同じく主将という立場で、これだけ世論が敵対的ななか、自らの反則を認め、再試合を要求するというのは、なかなかできることじゃないと思います。 また、イングランド代表主将を務めた経験もあるデビッド・ベッカムも、アンリは「いかさま師」などではないし、W杯の予選は何が起こるか誰にも分からない極限の状況なんだと強調しています。 その他にも、アーセナル監督アーセン・ヴェンゲル、テニス界からもロジャー・フェデラー

栄光なき勝利

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昨日、アイルランドとのプレーオフを制し、2010W杯本選出場を決めたフランスですが、同点ゴールの際のアンリのハンドが国内外で話題を呼んでいます。 アイルランド国民の怒りは理解できます。 試合内容からいっても、明確なコンセプトのもとに、持てる力を出し切って戦うアイルランド代表に対して、アンリとアネルカの能力だけに頼った戦術ゼロのフランス代表は、どうひいき目に見ても、「勝利に値する」チームではなかったことは、事実だ思います。 そんなフランス代表の唯一の得点がハンド絡みともなれば、アイルランド代表を応援する人たちは、それは怒るでしょう。 ただ、フランス国内においても、アンリのこのプレーに対しては批判的な声が多いのが少し気になります。 哲学者のフィンケルクロートも、ラジオで「遺憾な勝利だ」と述べていましたし、その他にも、「美しい手(ハンド)だ」と揶揄するキャスターや、「(予選突破に)満足してもいいが、誇りには思えない」とコメントするキャスターもいたりして、とにかく、アンリに対する風当たりの強さを感じます。 「Le Monde」紙の記事の一部を引用します。 街の片隅の小さな盗みがいつも警察の目を逃れるように、アンリのハンドがいつも世界中の審判の目を逃れてくれるといいのだが。サッカーはスポーツであり、スポーツは正しくあるために存在するわけではない。最もよい選手が勝つわけでもないし、最も倫理的な選手が勝つわけでもない。審判の過ちもあれば、コーチングの間違いもある(ドメネク監督はそのスペシャリストだ)。ドーピングする選手もいれば、いかさまをする選手もいる。さて、これらのことはそんなに深刻な問題だろうか? すごい皮肉ですね(笑)。アンリは窃盗犯、あるいはいかさま師呼ばわりです。 当のアンリは、「ハンドはあったよ。でも僕は審判じゃない。だからプレーを続けたんだ。」と、反則を認めています(これも開き直りのセリフと受け取られているようですが)。 まあ、実際に試合をテレビで観ていた僕も、一瞬、「アンリ、何やってんだよ!」と心の中で叫びましたが、その後のアンリの複雑な表情や、試合後にアイルランド代表の選手のもとに声をかけに行っている様子などを見て、「ああ、アンリも傷ついているのかな」と思い直しました。 僕は一サッカーファンの目で、「いろいろあるよね」と思うだけですが

W杯予選突破。神の手?

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w杯予選プレーオフ第2戦。 サルコジ大統領も駆けつけるほどの注目の一戦。 先の第一戦で「1-0」とアウェーにて先勝していたフランス代表は、ホームでのこの試合では「1-1」の引き分けで、総合して「2-1」。予選突破です。 敵地でのアドバンテージを手に、楽な試合展開になるかと思われたフランス代表でしたが、けが人の影響か、ちぐはぐなプレーに終始します。 特に試合序盤で味方DFにひじ打ちを食らわせ退場させてしまったSBエブラを始め、MFグルキュフもパスミスの嵐。GKロリス(上写真)の好守に再三助けられるものの、中盤が全く構成できないまま、前半32分、アイルランドのFWロビー・キーンがサイドからの折り返しを見事に合わせてゴール。このまま試合は、90分経過、総合点で同点のため、延長に突入します。 さすがに両チーム走り疲れたか、中盤のつなぎを飛ばした長いボールの応酬のなか、延長前半終了間際、事件が起きます。セットプレーからの混戦からFWアンリ(下写真)の折り返しを最後はギャラスが押し込んでゴール!試合はこのまま終了し、劇的な延長ゴールでW杯予選突破のフランスに歓喜の嵐! …なんですが、よく見ると、ギャラスへの折り返しの際、アンリの手にボールが当たっています。。。審判は見えなかったか、ハンドとは見なさなかったか、分かりませんが、ビデオで見る限りは、明らかにハンド。フランスを応援し、アンリ贔屓の私の目から見ても、これはもう絶対ハンド。必死でゴールの取り消しを訴えるアイルランド代表の選手たちを見て、ちょっとかわいそうになりました。 でも、試合終了後、チームメイトと喜びを分かち合いながらもどこか浮かない様子のアンリが、へたり込んでいるアイルランド代表の選手の横に座り、何か言葉を交わしているシーンが映し出されて、何というか、上手くいかない今のフランス代表を背負って戦っている彼の苦悩とか、激闘の相手を尊重するような気持とか、ただ勝ちたいという必死な思いとか、ハンドを見逃されてしまったことへの少しの恥ずかしさとか、意地とかプライドとか、後ろめたさとか疾しさとか、とにかくいろいろ感じてしまいました(感情移入しすぎ)。 兎にも角にも、ジダンを中心とした黄金期の記憶を背負いながらも、新しいチームを作っている真っ最中のフランス代表。けがで離脱中のFWリベリが戻ってくればま

まずは先勝!

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2010年のW杯に向けてのプレーオフ。 敵地での第一戦にて、フランス代表がアイルランド代表に、まず一勝を挙げました。 下馬評では不利とされていたアイルランドですが、サポーターに後押されるように、凄まじい気迫でフランス代表を苦しめます。 かたやフランス代表も、中盤まで下がってゲームを組み立てるアンリ(写真右)を中心に、徐々にペースを掴んでいきます。 試合が動いたのは後半25分過ぎ。アネルカ(写真左)のシュートが相手DFの足に当たって、軌道が変わり、ゴールネットを揺らすと、試合はそのままホイッスル。GKギブンを中心に好守を続けていたアイルランド代表でしたが、これはどうにもなりませんでした。 見た目はかなりワイルドながら意外なほどに繊細なテクニックを併せ持つアネルカの、苦労人の彼らしいと言えば彼らしい、技ありなゴール。ゴール後のパフォーマンスで、誰にも追いつけないほどのスピードで仲間の祝福の手をすり抜けていく彼の姿に、アンリとはまた別の「愛嬌」を感じました。 それにしても、期待の若手グルキュフも、まだまだ成長途中、ベンゼマに至っては試合にすら出れない状況。32歳のアンリと30歳のアネルカに、ここまで頼り切りでいいのか、無事に本選出場しても(プレーオフに回っている時点で「無事」じゃないですが)、勝ち上がっていけるのか、ちょっと心配にもなった試合でした。 18日には、今度はフランス・ホームで第2戦です。 どうなることやら。

最後の巨匠

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先日(10月30日)、人類学者クロード・レヴィ=ストロースが亡くなりました。 1908年の生まれですから、戦前のベル・エポック時代から、実存主義時代、自らが代表した構造主義時代、そしてポストモダンの時代から現代にいたるまで、めまぐるしく変転してきたフランスの思想界を生き抜いたと言えるでしょう。 同時代のサルトルやメルロ=ポンティやカミュ、あるいはレヴィナスだけではなく、その次の世代のフーコーやドゥルーズ、デリダさえもすでに世を去るなか、まさに『最後の巨匠』と呼ぶにふさわしい威厳を保ち続けました。 去年の生誕100周年に関係して、いろいろな書籍が刊行され、催し物も行われたようですが、11月の末の101歳の誕生日を目前に、どこか潔く、きっかり満100年の人生を終えました。 Le Magazine Litteraire が増刊号(上写真)で特集していました。 目を引くのが、巻頭に掲載されている「1985年10月のインタヴュー」です。 当時の雑誌をそのまま写真で撮って載せているので、なんとなくタイムスリップして、 生前のレヴィ=ストロースの声を聞いているような気分に。 このインタヴューでは、レヴィ=ストロースが、 生まれたばかりの時から1985年当時に至るまで、 自身の生い立ちや、思想形成について、さまざまなエピソードを語っています。 面白かったのが、 1944年に、20歳くらいの頃に一緒に教育実習生をしていた、メルロ=ポンティの突然の訪問を受けたときのこと。 レヴィ=ストロースはサンパウロの大学に赴任し、フィールドワークをつづけた後、 戦争の激化に伴って、ニューヨークに亡命、このときはフランスに一時帰国していました。 かたやメルロ=ポンティは、『行動の構造』を世に問い、翌年には『知覚の現象学』を出版して、すでに大著『存在と無』を刊行していたサルトルとともに、実存主義運動の寵児になり始めていました。 レヴィ=ストロース「彼[メルロ=ポンティ]はアメリカに行きたがっていました。実存主義の時代です。だからその機会を利用して、聞いてみたんです。どんな感じなのか教えてよ、ってね。彼の言葉をそのまま言いますね。『これは、デカルトとかライプニッツとかカントの時代みたいに哲学をやりなおそうっていう試みなんだよ。』」 対話者「それを聞いて