2009/12/25

「マティスとロダン」展@ロダン美術館


ロダン美術館で『マティスとロダン』展という企画展をやっていたので、観に行ってきました。
http://www.musee-rodin.fr/expomatisse.html

アンリ・マティスとオーギュスト・ロダン。
両者ともに「踊る身体」をモチーフにした作品群が存在することは有名な事実かもしれませんが、この企画展は、二人の芸術家の関係が想像していたよりも奥深いものであることを示しています。

マティスと言うと、野獣派の時期にせよ、その後の切り絵的な作風の時期にせよ、赤や青や黄色や緑を模様のように、ぺたーんと画面に配置する画風が印象的ですし、『色彩の魔術師』などと呼ばれることもあるようですが、ロダンと言えば、迸る激情がそのまま形態を得たかのような、深く陰影に富んだ、ほとんど「漫画的」とすら思えるほど喜びや悲しみを具現化した作品を残した、近代彫刻の父。
一世代離れた二人(マティス1869年生、ロダン1840年生)の作風は、とかく対照的なものとして語られることが多いようです。
しかしながら、今回の企画展を観ていて、この対照性は単純な「断絶」ではなく、むしろ「交叉」や「対話」だったのではないか、と思いました。

企画展の冒頭には「デッサンへの情熱」と題されたセクションがあって、細長い廊下の右側にロダン、左側にマティスのデッサンが並べられているのですが、彫刻家のイメージが強いロダンが意外なほどに多くのデッサンを残しているという事実もさることながら、それらのデッサンが、驚くほどマティスのそれと接近しているということが印象的でした。
もちろん、対象の曲線を微細に滑らかに追うロダンの描線と、対象を幾何学的な図形に還元するようなマティスの描線はまったく異質なものですし、そもそも描かれた時期も隔たってはいるのですが、そうやって異なる二つの方法で、目に見えない同じモデルに近づいて行っているような、そんな感じを受けました。

ロダンは力強く隆々とした筋肉の質感や美しく丸みを帯びた曲線によって、マティスは大胆にデフォルメされ単純化された画面構成によって、両者はともに「動く身体」というモデルに近づこうとしていたように思えます(そのことは、「ダンス、平衡と跳躍」と題されたセクションで具体的に読み取れます)。
しかし彼らの問いは、見た目ほど単純なものではないような気もします。
「彫刻の実践」と題されたセクションの説明書きには、こうあります。
1890年以降、彼[ロダン]はしばしば、形態を「滑らかに」仕上げることを放棄し、素材の持つ変化に富んだ形態構造を生かして、隆起や窪みに光が引っかかるようにした。 
同様に、マティスは、石膏像やブロンズ像に、目に見えるほどの指の跡、塑像用器具、型取りや鋳造時にできた傷、つまり偶然に生じた表面のでこぼこを、そのまま残した。
確かに、彼らの作品は、一見すると作業の途中であるかのような、「アラ」や「傷」が目立ちます。また彼らは、むしろ、そういった不完全さを突き付けるかのように、足や手といった身体の部位を一個の作品として提示したりもしています。
不完全な身体。こうなると、ロダンが表現しようとしたもの、また、マティスがロダンの作品の中に見出し、継承しようとしたものを、単純に「動く身体」と言い切ってしまっていいのか、いささか疑問が湧いてきます。

しかしながら、考えてみれば、動く身体とは何でしょうか。それは「完全な身体」の移動でしょうか。もしそうであるならば、それは、静止した身体の位置が変化したというに過ぎません。実際には、私たちは、動きつつある身体を完全には把握しきれません。運動とは、身体の形態がA地点から消えてB地点に現れるといった出来事ではなく、A地点からは消える途中で、B地点には現れる途中であるような、きわめて宙ぶらりんの状態なのです。すると「動く身体」は、本質的に「不完全な身体」だということになりますし、それを表現するということは、身体を完璧に再現することではなく、むしろ不完全に「示す」ことになります。(また、人間は基本的に静止しているのではなく、むしろ生まれてからこのかた動き続けているのであり、静止はその例外的な状態にすぎないのだとすれば、「動く身体」を表現することは人間という存在の根本的なあり方に接近することにもなるでしょう。)
こう考えてくると、ロダンやマティスが提示した「作業途中」に見える彫刻群は、今まさにそこを身体が通過している場所なのではないでしょうか。
彼らは「動く身体」を上手いこと再現し、彫刻に閉じ込めたのではなく、それらの上を動く身体が通り過ぎるように仕向けたということなのではないでしょうか。

マティスやロダンが追い求めたのは、彼らの手元で今まさに生まれつつある形態であり、素材の表面に出現しつつある形態であり、モデルの動きを見つめながら紙の上に出現しつつあるデッサンであり、だだの土くれから生命を得たかのように身を引き剥がしつつある彫像だったのだと思います。
今回の企画展では、完成された芸術家の偉大な作品群というより、現場で苦闘する二人の芸術家の現在進行形が垣間見れたような気がします。

3 件のコメント:

  1.  ブログ「映画的・絵画的・音楽的」の1月16日の記事で関連する事柄に触れているので、読んでみて下さい。

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  2. ホーピーズ2010年1月24日 13:45

    作業途中の様に見える彫刻に実は意味があったのですね。謎解きみたいで面白いです.ロダンとマティスの作品を見る時の楽しみが増えます。

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  3. そう言ってもらえると、うれしいです。本当に。

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