狂騒の外から:アンソール展


オルセー美術館にて、『ジェームズ・アンソール』展が行われています。
(2009年10月20日から2010年2月4日まで)


アンソールと聞くと、左の絵のような、不気味な、でもちょっと滑稽な絵を残した「仮面の画家」を思い出す人も多いかと思います。
でも、そのあまりに漫画的で、ある意味現代的な絵柄を見ていると、彼が1860年に生まれて主要な作品はほぼ20世紀が始まる前に描き終えていたという事実に驚かされます。

19世紀後半と言えば、パリでは「第一回印象派展」が催され、絵画の在り方が劇的に変化していく時期ですが、1880年にブリュッセルの王立アカデミーを辞めた後、故郷のオステンデに戻って、屋根裏部屋にこもり、独自の作風を練りあげていったアンソールは、こういった華やかな動きを外から眺めつつ、何を思ったのでしょうか。


並べられた彼の静物画や風景画を見ていると、そして彼のコメントを読んでいると、アンソールの、パリで一躍有名を馳せている画家たちよりも自分の方がすごいんだ、という強烈な自負を感じます。
また、みんなは馬鹿にするけれど自分の絵は本物なんだ、という孤独な信念も。
左の絵もそうですが、アンソールは意外なほど風景や静物を描いていて、彼独特の漫画的な画風も、突然ひらめいた思いつきなどではなく、伝統的な表現を模索する中で生まれてきたものなんだとつくづく思いました。そして、アンソールの本領は、もしかすると、喧騒を離れて、自然な孤独の中で、事物や風景と対面しているこの瞬間にあるのかもしれません。


時代状況としては、手元のパンフレットを読むと、アンソールが生まれた当時のベルギーは、独立したばかりで、フランドル地方の伝統とフランスの近代化の波が交差する活気にあふれた国だったようです。
左の絵などは、そういった人々の熱気に満ちた動きを見事にとらえている一方で、心なしか、それを遠くから眺めている画家の、憧れであふれた空虚な視線を画面の奥に感じる思いがします。
時代の動きに突き動かされ、狂乱する人々。
仮面をつけた出来の悪い人形を、無造作に積み上げていくアンソールの画風。
そこにあるのは、同時代の流行に対するユーモアとか批判精神などではなく、なにか自分の場所を見つけることができない疎外感のようなものを強く感じます。


そんなアンソールの屈折した眼差しは、近親の人々の死に色濃く影響されているように思います。
しかしながら、たしかに、人々を人形のように描いたり、自分すらガイコツとして絵の中に登場させたりするアンソールの絵画に、いわゆる「死」の暗いイメージはほとんどないように思います。
それは、死すらドラマチックな物語に回収してしまう常識的な価値観への強烈なアンチテーゼにも見えますし、また、死すらもひとつのオブジェとして描いていく絵画という芸術への、崇高なオマージュを見るような思いがしました。

世界は結局、仮面の世界なんだという諦念と、絵画という仮構の世界への信頼。
この矛盾する感情が、アンソールの作品にただならぬ奥行きを与えているのかもしれません。

コメント

  1.  ブログ「映画的・絵画的・音楽的」の2月6日の記事において関連する事柄に触れているので、読んでみて下さい。

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